センスは特別なものなのか

おはようございます。今日も今日とてお洒落ビギナーです。

 

先日お洒落な学校に仕事の関係で訪問したのですが。まあ、みんなお洒落。20歳前後とは思えない大人っぽさと完成度の高さ。なんなのあれ、あんなスカーフみたいなの髪に縛って。どこに売ってんだあんなお洒落なやt……あ、私もしまむらで買ったよくわかんないスカーフあるや。

と思いついたように家にあった、スカーフを細長く切ったような奴を引っ張り出してきました。そしてあの子達に見習って、低めのポニーテールを作った後、ゴムのところで蝶結びをして出社してみました。年下を見習ってなんて、プライドがどうなんてありませんよ。

 

そしたらあの摩擦力に関して最弱なフェイクサテンのやつ。知らぬ間に頭からスルスルと抜けてしまったらしく、気づいた時には跡形も無くなっていました。どこに落としたのか、見当もつきません。普段しない奴が突然ファッションとかやりだすと、こうなります。ありがとうございました。

 

 

センスがどうのこうの

 

 

さて、今日はセンスの話です。こんな話を持ちかけておきながらですが、私は多分、センスがありません。

少なくとも私は自分の先天的なものは信じていません。直感とか、そうゆうものに頼るとろくなことにならないからです。

 

 

センスは先天的な能力なのか

 

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そもそもセンスってなんだろう。
Senseは五感を意味する英語らしく、ラテン語の「sentīre」感じるが語源だそうです。日本でのセンスの捉え方は「物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き」のようです。
何とも漠然とした説明ですね笑
こう言われてしまうと、何というか先天的で限られた人にしか備わっていない能力に感じますね。「センスを磨く」という言葉でさえ、元々持つセンスの大きさによって左右されてしまいそうです。だけど本当にそうなのか。

 

センスをインプットする

 

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センスに限らず、能力を高めるにはインプットとアウトプットが必要です。インプットは「見て分析する」「知識を蓄える」ことかなあ。
展示会に行ったり作品集を見て漠然と「ああ、この絵いいなあ」と思った作品ってあるじゃないですか。そこで「じゃあこれのどの部分が魅力的に感じたのか」を考えるようにしました。別に作品に限らずとも動物園で好きな動物を眺めたり、素敵な洋服を見つけた時に。
それが洗練されたストローク(線の使い方)にあるのか、色彩にあるのか、構図にあるのか。はたまた私の知らない制作背景にあるのか。見ても結局よくわからないものも多かったですが、センスがどこに宿っているのか知りたくて盗みたくて、そんなことをしていました。

そして「知識を蓄える」のは、それこそ教本やら受けもしない検定の本やら美術史、ものの構造です。
文字にすると随分なことをしているようですが、できる範囲でノロノロと。そもそもお頭はあまり宜しくないのでこの辺は苦手なんですよね。

センスをアウトプットする

 

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それからは、ひたすら模写。絵画は流石にできなかったけどできる範囲での模写。好きなイラストレーターのものとか素敵な写真だとか、DTPのレイアウトだとか。よくやってたのはポケモンや妖怪ウォッチのキャラクター模写だったかな。模写してると、インプットで感じた魅力的なポイントがより明確に見えてきました。同時に難しさも感じて。ポイントが上手く再現できないと、似たようなイラストに仕上がっても素敵なものができなかったです。
私はまず真っ直ぐな線も綺麗な正円も下手くそだったので、当時のスケッチブックにはただただ直線と丸だけ書いたものも結構残っていました。

 

センスのハードルは実は高くない

 

多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業で、くまもん等も手がけたクリエイティブディレクター兼慶應義塾大学の准教授の水野学先生は「センスは知識からはじまる」という本を執筆しています。
この方、とても知識人なんだと伝わってきます。そしてそのロジカルな思考回路は、決してセンスが漠然としたものでないと感じさせました。
この本の一節に、学校の美術の授業がセンスのハードルを高くしていると述べています。

 

(一部抜粋)

図画工作や美術を「学問」として捉えている人が、どれだけいるでしょうか?おそらく教師も生徒も「芸術科目は学科ではない」という認識ではないでしょうか。その原因の一つは、授業時間のほとんどが実技のみに費やされることです。

(中略)

僕たちは美術となると、何の練習も知識もなしに、いきなり実技をやらされます。(略)美術の歴史、美術の見方、どのような技法がどのように成り立っているか、そうした知識を学びながら実技も行なっていく。そうすれば美術についての感じ方、考え方、表現方法も変わっていくのではないでしょうか。

(中略)

例えば歴史の授業が「知識を学んだ上で、今の時代で自分が何をしたらいいかという礎を作る授業」であるなら、美術は「知識を学んだ上で、自分が何かを作ったり生み出したり、表現したりする礎を作る授業」であるべきです。

 

 

日本には美術を学問として捉える習慣があまりなく、単純に「絵が上手い/下手」と判断された為に美術に対してコンプレックスを抱いてしまいます。こうしてセンスの目を潰し「センスは特別なもの」という認識が高まったのではと述べていました。

いやいや、絵が描けないデザイナーなんて結構いるけど。

もし上のように「美術は学問」と捉えていたなら美術が上手いとか下手という線引きがなくなるかもしれませんね。先生の言葉を借りると「歴史が上手い/下手」と区別する人はいない、となる訳で。

 

先天的なものに逃げず、根拠に基づいき洗練させる

 

 

センスは別に漠然としたものではないと思っています。
万人が「センス」と片付けているものは、本当はちゃんと説明できる裏付けがあるはずだから、むしろ結構泥臭い下積みから成り立っているものなんじゃないかな。それが自分の自信につながるし、人に説明できる根拠になりそうですね。
自分には理解できない・わからないものを「センス」と片付けるのは簡単ですが、生み出す側はそんなスピリチュアルなものに頼っていられないですね。

 

 

 

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