色は750万色見えてるんだって

おはようございます。今日も今日とて楽しいです。ありがとうございます。

いい加減アナリティクスが上手く作動してほしい。上手くいかない…。やっぱりWeb関連は難しいですね。一つも言語知らないからだろうけど。

 

今年も届きましたよ「色彩講師になりませんか」お便り。
色彩検定1級所得者なら誰でも(25万払えば)なれる講師です。まあなったからと言ってあまり利点が見出せないし、1級を取ったからといってゴールではないので、毎日実践と考察です。でも資格マニアではないけれど、色彩検定はやって良かったです。
1級2次については「無駄なことに労力を費やしすぎ」と非難の声もありますが、(確かに無駄な暗記事項が多い)私は2次対策で5曲くらい替え歌を作って暗記ものは乗り越えたので「楽しかった勉強だった」という印象でした。今でもたまにiTunesのシャッフルで当時録音した、スーパーマリオワールドに合わせてただ数字の羅列を歌っただけの替え歌が出てくるので顔面が沸騰します笑

 

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色彩に興味をもったきっかけ

 

私が色彩学に興味を持ち始めたのは恐らく小学校4年生くらいだったと思います。
肉親に色盲がいたからです。
(現在では「色覚異常者」と改名されたらしいのですが、日常生活に何の不便もない家族のことを「異常者」とは言いたくないのでここでは色盲と言っておきます。)
丁度絵の仕事がしたいなと何となく考えていたのもこの年でした。

当時は「家族に色盲がいる」とわかっていてもあまりピンと来なかったんですけどね。色盲は遺伝生なので、うちの家系では何人かいると聞いたことがあります。でも絵画や工芸を楽しむ肉親もいるし、別に変なものだとは思っていませんでしたし、今でも変とは違うかなあ。

 

 

学校でやった色盲調査

 

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だけど3・4年生くらいから、色盲を意識するようになりました。
なんでかというと(今はどうかわかりませんが)当時は小学生の段階で「色盲調査」を行っていたからです。色盲の人には違って見える特殊な本を使って検査するやつです。あのつぶつぶがいっぱいの本。
それがあって、クラスでも色盲の人が世の中にいるという認識が広まり、私も何となく意識するようになってきました。
何となく「色盲=変わった人、不満足の人」という認識が小学生の中でも広まっていきました。そこで家族のことを思い返すようになったんです。

そういえば、色盲で悩んでベソかいていたなあ、と。
それまでは何で泣いてるのか良くわからなかったし、わざわざ定期的に東京に行って治療(?)みたいなものを受けに行ってるのもよくわからなくて。だけどクラスの中に何となく広まっていた「色盲=不満足の人」がわかってきてからは少しきにかけるようになりました。(かといって相手には何もしなかったけど)

 

 

 

小4で初めての色彩学

 

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家族がベソかいてるのを助けたかったのか、色盲を治す方法を知りたかったのか、単に色彩について興味が湧いたのか。
それから私は図書室やら図書館やら本屋さんやらに行って「色彩」「色盲」と書かれた本を片っ端から読み漁っていきました。と言っても、小学4年生のお子ちゃまでは殆ど理解できなくて、とりあえず書いてある図やら記述やらをそのままノートに書き写して満足していただけなのですが。
本の中に「色盲の人が見える風景」の参考写真が載っていたので、それをコピーしてノートに貼り付けたのですが、お子ちゃまな私は白黒コピーしか出来なくて、単純にモノクロ風景写真を貼り付けていました笑
それくらい、わけのわからないノートだったと思いますし、結局「色盲は治らない」という事実だけ理解して、何だか腑に落ちないままだらだらと読んでいた記憶があります。

定期的に行われる「色盲調査」の度に、思い返して、訳わからない書籍をもう一回借りて読み漁る。それを多分数年やっていました。

 

 

色って本当に大事なのか

 

その後美術を学び、デザイナーとなるわけですが、私は「ものの第一印象を決めるのはカラーである」とずっと思っていました。形の情報や文章の情報ではなく、パッと見てまず目に飛び込んでくるのは色であると。だから色彩はデザインにおいてとても重要な要素だと感じていました。

だけど最近改めて色盲のことを考えた時に、自分で定めたその定義に疑問を感じるようになってきたんです。

 

 

雑多な情報を排除した結果の色盲

 

 

「色盲=不満足な人」という認識、ましてや「色覚異常者」なんて言い方がどうも腑に落ちないんです。
それは家族に居ないと感じなかったことだろうけど。
色盲が本当に人間の劣化なのか。色相に制限がある方が、むしろ色に対してシビアに感じているかもしれない。

「白黒で伝わらないものは、カラーでも伝わらない」と、デザインをやっていて気にかけているところがあります。カラーには情報が多すぎて雑多なビジュアルになってしまう危険があるので、一旦モノクロに直すという考え方です。
だけど色相に制限がある色盲は、そもそもそんな手順を踏まなくても伝わりやすいデザインが出来るのかもしれない。勿論変な配色になるかもしれないけれど、読みにくいデザインにはならないのかもしれません。

 

 

こんなに色が見える必要があるのか

 
人間の目は、他の動物より明らかに色を識別する能力があります。だけど其れゆえに、色が見えすぎて収集がつかなくなってきているようにも感じます。

人間が認識できる色が約750万色だと言われている中、実際使っているのはせいぜい2000~3000色程度らしいです。しかもPCCSでは287色(11×23+vv24+モノクロ10)のカラーパターンしかなくて、これでもおおよその配色ができてしまいます。使いこなせないものをいつまでも所持している理由はなんでしょうか。そもそもパソコン上では約1677万色(16×16×16×16×16×16=16,777,216)も使い分けているわけですから、人間が全ての色を認識できているわけでもないんだろうと思います。

 

色選びに費やしていた時間を他の要素へ

 

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私のような色彩学を専門に学んできた人間がこんなことを言うのもおかしいけど、色彩学は別に特別なものじゃないんだと思うんです。むしろみんなが当たり前のように出来ていい分野だと思います。
それを妨げているのは他でもない「私たちがたくさんの色を見えすぎている」からでしょう。
見えすぎてるから難しくなって、だから専門家が生まれて。
だけどもし元々の色相がもう少し絞れたら、もっと万人がわかりやすい分野かもしれません。むしろ色なんかに囚われずに、形やら手触りなど他の要素に重きを置ける、感覚が研ぎ澄まされた人間になれるかもしれない。

 

まとめ

 

 

情報社会で生き延びた者が、本当に必要なものを選別していったら、一体どうなるんだろう。私たちはこれから何色を識別できるようになるんだろう。使える色が増えて認識する色も多くなるのか、センスを研ぎ澄ませて不必要な色は排除されるのか。
「だから色盲がいい」は言い過ぎな気もしますが、そんな疑問を潜在的に感じたからこそ生まれたのかもしれない。そう思うととても神秘的でわくわくします。
そして私が色を考えさせるきっかけを作ってくれたのは間違い無く色盲でした。もっと言うと、私がこうしてデザイナーとして稼げるのも、色盲があったからかもしれない。小学4年生の私が、わからないなりに向き合った時間が少なからず私の将来を変えたと思っています。家族がいたからですね。


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