明朝とゴシックは混在してもいいじゃない

おはようございます。今日も今日とてデザイナーです。ありがとうございます。

DTPデザインをやっていると意外と時間がかかるのがフォント選びです。昔ターゲットの年齢層が高いチラシに対して細いフォントを使ってしまった失敗もあり、フォント選びは慎重です。そこでよく聞くのが「明朝とゴシックが一緒になっているチラシってかっこ悪いよね」「セリフ体とサンセリフ体が同じページにあるのは良くないよ」という話。同業者でも似たようなことを言う方もいるので、この認識はデザイン素人だけの考えではないようです。

 

私が思う、フォント選び

勿論、フォントの統一は見やすい場合もありますし、全体がまとまって見えるでしょう。
だから一番突付き易いと思います。そう教えている教育者やサイトさんもあるでしょう。そんな人に私の記事を読まれたらどう思うんだろう。ましてやフォントもバラバラで明朝とゴシックが混在なんて言った日には、もうボロクソ扱いされるんでしょうね。私も別にごちゃごちゃした紙面はあまり好きじゃないですし、できれば綺麗にまとまりのあるデザインにしたいのは同じです。でもその手段が「フォントの統一」とは必ずしもないと思うんです。

まず、明朝とゴシックの違いについて書いていきましょう。
見てわかる程度のことは他でいくらでも書かれているでしょうから省きます。
因みに今回は和文フォントに限って書きますね。(デザインフォントも今回はなしで)

 

明朝体

明朝.jpg

小学校の教科書を思い出してください。特に国語の教科書です。
国語の教科書の本文には、ほぼほぼ明朝体が使われているでしょう。文章で殆どを埋め尽くす国語では、当たり前ですが文章を読んで欲しい本ということになります。そして隠された情景や心情を読み取ってもたいたい本なんです。小学生はこれを何度も音読し朗読するわけです。
明朝体の起源である筆書きが主流だった時代は、情報源の殆どは文面からでした。だから百人一首でも竹取物語でも、そこに込められた全ての思いを文章に込めたはずなんです。だから読み手はその思いに応えるために、腰をおろして巻物を丁寧に広げて読んでいたのではないでしょうか。


明朝体には、腰を据えてじっくりと読ませる力があると私は考えます。
だから国語の教科書でも明朝体を採用したでしょうし、止め跳ね払いの漢字一つでも言葉の意味を見出して欲しかったんだと思います。明朝体の特徴として「伝統的」「堅く誠実な印象」と表現されるように、どこか奥床しい力があるのでしょう。

ゴシック体

ゴシック.jpg


ではゴシック体はどんなフォントなんだろう。
例えば漫画には様々な種類のゴシック体が並んでいます。(時々明朝体もありますが)
私は漫画が、本来は「絵の情報」を伝える本だと捉えています。どんな主人公がどんな戦いをして、どんな格好いい武器を持っているか。だから文章は絵に対しての補足でしかないのです。さらに文章すらも「絵」と捉えるために、そのシーンに合わせたフォントを使い分けています。

活版印刷と共に発展してきたフォントなので、余計なものが排除され、洗練されたモダンフォントと言っていいでしょう。だからこそゴシック体は情報特化のフォントであり、他を邪魔せず引き立たせる力を持っていると感じます。


ではDTPにおいて、この2つが混在することが不自然なのでしょうか。
何ページにも及ぶ冊子やパンフレットにおいて、「腰を据えて読ませたい文字」と「情報としての文字」のどちらか一方しかないとは言い切れません。そのフォントが本来持つ力を見ずに、全体の見易さだけを重視してレイアウトするのはとても残念に思います。勿論「読ませたいから明朝」「情報だからゴシック」と区別しろというわけではないのですがね。そういった観点からフォント選びをするのも悪くないかなと私は思います。

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