頑張る姿を見せたいのは何

この花金の夜に、久しぶりに高校時代の友達から連絡が来てテンション上がりました。
21:00頃来たので、また今度会おうと話をしただけですが、今からが楽しみです。

 

 

さて、早々に本題に触れていきましょう。

 

アイドルの番組やど根性系の漫画なんかで、努力する姿を描写する場面がありますが、個人的には少し違和感を感じてしまいます。確かに感情に訴えかける有力な手段ですが。
確かに努力している姿って、凄く人間味があって応援したくなります。結果だけを見せられるより過程がある方が面白いからプロデュース側からするとそう作りたくなるのもわかります。私だって誰かをプロデュースするならメイキングまで載せたくなるだろうし。

 

私が言いたいのは、頑張る姿って自分からは絶対に見せないよなあ、という話です。

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私自身は「努力家」と思われるより「才能がある人」だと思われる方が嬉しいです。もう完全に持論ですね。

頑張る姿を見せてしまうと、どうしても評価にプラスアルファが加わるように見えてなりません。プラスアルファが加わった途端、どんなに賞賛されてもあんまり嬉しくないんですよ。プラスアルファの割合って大きいから、実際自分がどれくらい評価されたのかわからなくなる。

 

適切な評価を受けられず、上乗せされた評価を鵜呑みにするかもしれない。それが怖いです。「努力家」って、要はそうゆう基準じゃないですか。「どれだけ大変で、どれだけ困難で、何度嫌になったか。その道なりを先に見てもらってから結果を見てください」と言っているように感じてしまいます。なんだか違和感。なんでいらん情報まで見せてくるんだろう、と思って…しまいます。

 

 

努力してもその2割くらいしか結果に反映されないからでしょうか。

だから残りの8割も評価してもらおうと思って、わざわざ頑張っている姿を見せたくなるのかな。うーん。でも確かに人間味はその8割の中にありますよね。一気に身近な人間に感じるからファンが作りやすい。そうゆう付加価値をつけたくなるのかな。営業でも、商品にわざわざ付加価値をつけて価格競争に対抗したりするわけだし。うーん。私もまだまだ考えが至らないですね。

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